2006年04月29日

尾形光琳「風神雷神図屏風」(3)

 更新が遅くなってしまってごめんなさい。さて、先回の続き「なぜ風神雷神の色を変えたのか」について一つの説を紹介させていただきます。

soutatu.jpg

 上も図が宗達の風神雷神です。


 で、本来は赤でなければならない雷神が白色に、そして風神は緑青に変更されています。宗達は「伊勢物語芥川図」では同じかたちの雷神を赤で描いているそうですから、「わざと」色を変えたと考えられます。


 本来の宗達の「風神雷神図」の居場所は京都の妙光寺という臨済宗のお寺で、禅に関係する内容を想定することができます。

 
 すると、風神雷神の二神の色から違う禅にまつわるモチーフが浮かび上がってきます。

fugengazou.jpg monju.jpg

 左が東京国立博物館蔵の普賢菩薩、右が伊藤若冲の描いた文殊菩薩です。時代が少し異なりますが、適当な画像がなかなか見つからなかったのでご勘弁を。

 
 上の画像のように普賢の象は「白」文殊の獅子は「緑青」として表されるのが約束だったそうです。これを宗達の風神雷神図屏風に照らし合わせてみてください。


 他にも、雷神には象の牙を表すために「牙」がつけられていて、風神のほうには「牙」がありません。その代わりに、風神の方には獅子の鬣を表すために「金色」でその部分が表されています。光琳の屏風には両方の鬣が金色になっています。


 なぜ、そのようにしたのでしょうか?


 法華経や禅宗で重要な経典であります「摩訶止観」の中に「空中の雲雷は象牙の上に草を生ず」という仏の説法の喩えとして、当時の江戸の人たちには常識だったそうです。


 または、風神雷神は釈迦による説法の様子や慈悲を表すものとして平安時代から「法華経」などのお経の「見返し」という写経する前の絵を描く部分に描かれているそうです。

 以前にも述べましたが、宗達は本阿弥光悦という有名な芸術家の絵画部門担当者でした。本阿弥光悦は法華経の熱心な信者で宗達らとともに法華経の村を作って住んでいたほど法華経を信仰していました。


 つまり、「摩訶止観」という経典に基づいて雷神を「普賢菩薩」風神を「文殊菩薩」にイメージを変換してみると少しこの屏風を描いた当時の江戸の人々のメンタリティに近づくことができます。

 
 普賢と文殊は釈迦の両脇を務める尊像です。つまり、この屏風の普賢と文殊は間の金色の空間のところに見えない「釈迦」を創造させる、見立ての「釈迦三尊像」であることを見る人に要求しているそうです。


 だれが、このように作れと宗達に依頼したのかは分かりませんが、こういう内容までは当時の人々のメンタリティを分かろうとしないと、つまり、当時の人々の立場に立って考えてみないと分からないことだと思います。


 今の常識がいつでも通用するなんて思うことは全くおかしなことで、いつの時代の人々の考えをも尊重するような気持ちで古美術を見ていかないと、なかなか本質までは分かりません。


 一見、シンプルな風神雷神のイメージが実は奥深い意味を我々に示しているなんてとても驚くとともに、すごい精神世界が昔はあったのだなぁと感じました。

 以上で終わります。また下の広告を押していってくださいね。

   
 
 

 
posted by にわか at 21:31| Comment(15) | TrackBack(0) | 風神雷神図屏風 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月28日

尾形光琳「風神雷神図屏風」(2)

soutatu.jpg

 今回は光琳が写したとされています俵屋宗達筆「風神雷神図屏風」を少し細かく見てみます。また少しお付き合いください。

 今回紹介します説は村瀬博春氏の『美学』543に掲載されています説です。仏教の経典の一つで、昔の日本人にとってもっとも重要な経典に一つでありました法華経に即して考えてみるという試みです。

 たくさんのことを紹介したいのですが、ポイントを絞っていきます。難しい話ではありません。読み物として読んでいただければ幸いです。

 まずは、上の図を虚心に観察してみてください。すると、いくつか不自然な点が出てきます。

 とういうのは、宗達は「北野天神縁起絵巻(弘安本)」の二つの清涼殿に落雷する場面に登場します雷神に取材しているといわれています。

 その「北野天神縁起絵巻(弘安本)」とは

雷神画像楊.jpg

 これです。どうでしょうか?風神のポーズにそっくりです。

 で、雷神は「北野天神縁起絵巻(弘安本)」の雷神をそのまま引用して、わざわざ「北野天神縁起絵巻(弘安本)」雷神を風神に書き換えているのです。

 この問題は宗達が純粋に風神雷神図を描いたわけではないことを示しているそうです。

 次の疑問は宗達の「風神雷神図」を見てもらえば分かります。雷神の持っている太鼓は胴が細くて、いかにも貧弱。そして太鼓をつないでいる輪は太くて、なぜか太鼓の中心を貫通しています。バチも貧弱です。こんな道具ではきっと雷鳴どころか音なんて出ないと思います。

 このことからも、純粋な「風神雷神」を描いているわけではないことが分かります。どうやら、この絵には何か他の意味が隠されているようです。

 疑問はもう一つ。宗達の「雷神」と「北野天神縁起絵巻(弘安本)」の雷神を見比べてみてください。

soutatu.jpg

雷神画像ズーム.jpg

 違いに気づきませんか?格好はさておき、色が違います。

 正しい雷神の色は「北野天神縁起絵巻(弘安本)」の雷神です。雷神は火に結びつくことから普通は赤色(丹)で描かれるのです。

 ただ、宗達がこのことを知らなかったのかというと、そういうわけではなかったようです。図が用意できないので申し訳ないのですが、こちらには正しい雷神が描かれています。機会があればいつかご覧ください。

 今回はここまでにさせていただきます。なぜ、わざわざ色を変えたのか考えてみてください。仏教の臨済宗と法華経のコンテクストで考えるとおもしろい答えが見つかるかもしれません。次回は今回の色の問題の結論を紹介させていただきます。

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2006年04月24日

尾形光琳「風神雷神図屏風」(1)

 東京国立博物館で尾形光琳「風神雷神図屏風」が展示されています。今回はマムさんにリクエストしていただきましたので取り上げたいと思います。

 ただ、私は「にわか」ですので、そのあたりはあしからず。

 尾形光琳の風神雷神を見る上で、やっぱり俵屋宗達の風神雷神を扱わないわけにはいきません。今回は宗達と光琳の違いを見てみましょう。

 では画像から

 soutatu.jpg

 光琳風神雷神.jpg

 大きさが違いますが、お気になさらないでください。

 上が宗達で、下が光琳です。どこが違うでしょう。

 雲の形が違います。宗達の方をよくよく見てください。雲は何処からやってきているでしょうか?

 はい。屏風の向こう側からやってきています。

 光琳の方はどうでしょう?

 左側の雷神の雲は四角形です。右側の風神は三角形です。

 雲の形から宗達と光琳の造形に対する意識の違いが読みとれるそうです。宗達の雲は屏風の「向こう」からやってきているとさっき記しましたが、どうでしょう?それに、雲の効果で全体的に躍動感が感じられると思います。そうそう、ちょうどドラゴンボールの悟空のキント雲のような。

 光琳がこの屏風に描こうとした三次元的な空間の広がりが見えてきませんか?そして、風神と雷神の雲は屏風の奥でつながっていくように見えます。

 この話を私が聞いたとき物凄い感動を覚えたのを記憶しています。「はぁ、こんな見方ができるんだ」と。

 一方で、光琳はというと、三角と四角で雲を処理しています。つまり、光琳はデザイン的な造形に秀でた才能を持っているということが分かります。

 一見同じような絵に見えますが、二人の画師の目指そうとするところは異なっていることが分かります。よく見ると、雲一つであってもとってもおもしろい発見ができます。

 恥ずかしながら、私もその話を聞くまでは全く気づかなかったのですが...汗。

 手短ですが、今回はこの辺で終わりにさせてください。

 つぎも、風神雷神図屏風を観たいと思います。

 風神雷神図屏風にこめたれた意味について一つの説を紹介させていただきます。

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posted by にわか at 20:46| Comment(6) | TrackBack(2) | 風神雷神図屏風 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月19日

うわぁ、カラスがいっぱい。

 根津美術館では「燕子花図と藤花図」という展覧会が開催されています。燕子花図は尾形光琳、藤花図は丸山応挙。燕子花図は国宝です。私は何度も見ているのですが、やはり別格です。鮮やかな緑色は当時光琳にしか出せなかった色だそうです。

 今回は燕子花図はそんなところにしておいて、燕子花図について詳しくは絵画の見方のコーナーに記してあるのでよかったら読んでいってください。

 で今回、書きたくて書きたくて仕方がないのが作者不明(分かっていたらごめんなさい)の「烏図屏風」です。

IMG_1169.jpg

 上の図は二隻(一双)ある屏風のうちの右側です。なんでこんなところに烏の絵なんかがあるのだろう。入った瞬間私はそう思いました。

 だって、入ってすぐ吉野瀧田図があって、夏草図があって、蹴鞠図、麝香(猫とかイタチとか)図、藤花図など、美しかったり、まぁ有りかなと思うような絵の中に、デンと鑑賞する広場を挟んで燕子花図と向かい合ったところに展示されているのです。

 ん〜。と、しばし見入ってしまう...



 何羽いるのだろう?






 なぜこんなにたくさん?





 なぜ?なぜ?なぜ?







 と、いう風にいろんなことを考えてしまいました。よく見ていますと確かに琳派の仲間に入れてもよいのかもしれないな。とか思ってきたりしてきます。

 「向かい」といって遥か向こうですが燕子花図屏風と見比べてみてください。どういう印象を抱きますか?この後のことはここでは説明しません。実際に見て燕子花図と似ている点を発見してください。その似ている点に気づいたとき、また、ここにコメントを残していただけたら私はうれしいです。

 image07.jpg

 燕子花図ではありませんが、上の俵屋宗達「鶴図」に似ていると思いませんか?俵屋宗達は実際のところ琳派の祖と言われることもあります。琳派の「琳」は尾形光琳の「琳」ですが、風神雷神図屏風で分かるように俵屋宗達を学んでいます。往々にして琳派の画家は「師弟」の関係ではなく、自主的に学ぶことでつながっています。狩野派とはかなり性格を異にしています。

 ですから、鶴図に似ていると思えば、琳派といえるのではないかな?と私は思ったわけです。たぶん、これは私の意見に過ぎないと思いますのでそのあたりはご容赦を。如何せん琳派の専門家ではありませんので間違っているかも分かりません。

 で、最後にですが、この烏図の中にカラスは何羽いるのでしょうか?数えてみてください。答えは私もよく分かりません。烏の群像が描かれていますが、何羽そこに重なっているのかよく分からないのです。これは中国の「鶉図」という三羽鶉がいるのに頭は二羽分、体は二羽分、足も二羽分だけれど、確かに三羽いることが分かるといった「騙し絵」的な香りも感じられます。

 さらに、地面にいるカラスになんか違和感があるなと思いました。なぜでしょう。それは会場でじっくりと眺めてみてください。おもしろい発見があるハズです。

 この絵を描いた人、注文した人かも分かりませんが私はかなりの遊び心を感じます。烏は何で?当時は嫌われていなかったの?嫌われていた烏だけど、それでわざわざ描いたの?こんな疑問も出てきたりして、ん?ん?ん?なんて。おもしろいですね。

 ぜひ、根津美術館に見に出かけてください。そして、ここにその感想を書き込んでください。ちなみに4月26日でアメリカのシアトル美術館かどこかに行ってしまうそうなので、それまでに見に行ってください。

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posted by にわか at 00:16| Comment(4) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月17日

知る人ぞ知る名品

 東京国立博物館へお出かけの際は是非本館の常設展示室を訪問してください。そこの第十室には浮世絵の展示室があります。そこの中央には窪俊満という人の「夜景内外の図」という作品版画が展示されています。

 窪俊満という人名なんて聞いたことないですよね。私も恥ずかしながらしりませんでした。

 その作品は江戸の18世紀の作品だそうです。三枚の版画を組み合わせて一つの画面を作っています。なんで三枚かというと、Kentという紙の企画が定着し、それ以外の大きさの紙で版画をすると高くついてしまうからだそうです。「見当違い」はここから来ているという説もあるそうです。実際のところはよく知りませんが。

 この作品は12段階の版で作られているそうです。よく作品を眺めてください。黒一色ではなくって、黒色でも少しずつトーンが違っています。左下の建物の前に置いてある灯篭のようなものから光が出ています。

 その光に照らされて、女の人(だったと思います)の足元が少し明るくなっています。木の木目の表現も繊細です。女性の顔や表情も他の作品と比べて繊細です。

 こんなところにしておきましょう。細かいことは忘れてしまいました。余に圧倒されてメモを取り忘れてしまうという失態をしでかしましたので、ご容赦を。

 そのほかにも浮世絵の部屋には鈴木春信筆「三十六歌仙・在原業平朝臣」があります。この頃の春信作品は別格だそうです。顔が違うということです。左隣の春信の作品の顔とくらべてみてください。なんと「三十六歌仙・在原業平朝臣」の手の込んでいることでしょう。それはパトロンがしっかりしていたためだそうです。

 部屋に入って右奥にも窪俊満の「群蝶画譜」があります。これも蝶の羽に金が注してあったり、左下の青白っぽい蝶のその下には薄く銀が張ってあったりとよくよくよく見ないと分からないところまで手を込んでいるという周到さです。

 後は、尾形光琳の「風神雷神図屏風」も出ていますし、絶対行って損はありません。改めて東京国立博物館のキャパシティーのでかさを感じました。

 単眼鏡を持っていくと細かいところまで拡大して見ることができるので便利だと思います。また下の広告を押してご協力をお願いいたします。

  
posted by にわか at 13:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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