2006年09月15日

抱一の遊び心

 まずは「風神雷神図屏風」を見る前に「夏秋草図屏風」を見てみようと思います。


夏秋草図屏風左HP.jpg 夏秋草図屏風右HP.jpg


 「なぜだ??」とお思いになられた方もいらっしゃるかも分かりません。はい、この「夏秋草図屏風」は今は別々にして保管されていますが、もとは尾形光琳の描いた「風神雷神図屏風」の裏っ側に描かれていたものだそうだからです。


 もちろん抱一よりも光琳の方が遥かに前の時代の人ですから、光琳が「風神雷神図屏風」を描いたと同時にその裏っ側に描かれたというものではありません。定かな話ではありませんが、抱一の家に光琳の風神雷神図屏風があって、本物だと知ってか知らずか一体にしてしまったそうです。時空を越えたコラボレーションだったんですね。


 そして、この絵は「ただ何となく夏の草と秋の草を描いた」というものではなくって、本来の場所つまり、光琳の「風神雷神図屏風」の裏っ側に戻して鑑賞してみますと、雷神の背面に夕立の雨に打たれた夏草、風神の裏に野分(台風)の風に吹かれた秋草を描いています。


 雷神の裏に夏草です。風神の裏は秋草です。どうでしょうか。もうお分かりでしょう。抱一は雷神から夏の夕立を連想し、風神からは秋の台風を連想したことが分かりますね。しかも、金地で天空の表面に対して、抱一は裏面に銀地で地上の草を描いているのです。なんとまぁ、洒落っ気たっぷりの遊び心でしょうね。

光琳風神雷神.jpg 

夏秋草図屏風右HP.jpg 夏秋草図屏風左HP.jpg  


 どうやら、酒井抱一はこういう機知に富んだ遊び心たっぷりの人物だったと考えられているようです。画家として名が知られてからの抱一に多くの注文が依頼されるようになると、「金もほしいけど、自らあくせくすることにも気が進まない。どうしよう。そうだ、弟子にやらせてしまえ。」というように弟子の鈴木其一やその養父の鈴木蠣潭らに代筆させたりもしています。舌を「ペロッ」なんてしてる抱一の姿が目に浮かんでこないでしょうか。


 そんな、遊び心は一体どこからやってきたのでしょうか?


 おそらくそれは彼の生まれ育った環境から来ているのでしょう。何を隠そう、抱一は御殿様の家系なのです。彼自身は御殿様にはなっては居ませんが、彼の兄は御殿様です。


 そんな恵まれた環境の中で、絵画のほかに武術、能、仕舞、太鼓、連歌、茶なども行い、抱一は多趣味だったそうです。そのような環境で育ったからこそ機知に富んだ遊び心を見につけていったのだろうと思えてきます。


 しかし、そんな抱一は次第に大名の生活を堅苦しいと思うようになっていって、三十七歳のときにそれから逃れるためだけに出家をしています。なんだかこのあたりの奔放さは放蕩で名を馳せた尾形光琳に通じていると思えてなりませんね。
posted by にわか at 01:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 風神雷神図屏風 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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