2006年07月14日

続・深まる紅白梅図屏風の金地。

 さて、先回は紅白梅図屏風に関連して、金箔について記させてもらいましたが、今回は金箔の使い方を中心にして考えてみたいと思います。


 先回紹介しました、箔師・野口氏によると、江戸時代の金箔と比べてみると、基本的には金箔の貼り方は同じだそうですが、一つだけ目に見えて異なる部分があるそうです。


 それは何かというと、「箔のかたちを整えること」だそうです。例えば俵屋宗達の風神雷神図屏風の金地の一部分を取り出してみます。

箔.jpg

 今の金箔ならば、正方形に形を整えるので、図のような輝線が不規則に正方形内に現れてくるようなことはありません。しかし、上の図を見てみると、どうでしょう。輝線(金箔が重なっていて濃く見えるところ)が不規則に現れています。


 これは、金箔が今のような正方形ではなくって、モザイクのように継ぎ重ねられているからだそうです。


 なぜこんな継ぎ方をするのでしょう?


 野口氏は一試論を展開しています。今と昔では金箔の形の整え方が違うと考えています。おそらく、今のような正方形に切りそろえる製法もあり、加えて、なるべく切り落とす部分を少なくするように上の金箔部分のようにあちこち継ぎながら正方形に近い形に整形する方法も並存していたのではないかと言っています。


 このお話の中ではいくつかの継ぎ方の例が記してありますが、ここで紹介する術がありませんので、またの機会にさせてもらいます。


 このようにして、不規則な輝線が出来ているそうです。あくまでも一試論ですが。


 そこで、第一の疑問である「金地の部分から検出された金の測定値が微量の上に一定していないこと」について。


 この問題の根底にある認識は現在手に入れることの出来る金箔の薄さ0.1μmだということです。そして、継ぎ重ねをすることで、箔足だけでなく、いろいろな部分の厚さがまちまちになってきます。つまり、金の測定値が一定ではなくなるということです。そのため、箔足の部分がそうでない部分に比べて必ずしも二倍にならないのです。


 次の疑問は「金地の部分には有機物が付いている」こと。つまり、金箔ならば有機質ではなく、金属なので有機質は検出されないのではないか。ということです。


 この問題に対しては、先回紹介しましたように、金箔を貼るときに膠を接着剤代わりにします。膠とは動物のコラーゲン(皮や骨)を原料としていますから、膠を塗っていれば有機質は検出されるのだと説明できます。


 さらに、金は金属なのでなかなか絵の具が乗りにくい。弾いてしまうということです。それで、金箔の上から膠を塗るそうです。金地の上に見える筆の線はそれを塗ったときの刷毛の後だと説明されています。


 このように、金地は金箔を貼ったものだという論客の主張も合理的なものと考えられるようになりました。金箔説も非金箔説も確からしいということは、どちらなのかわからないということになります。さてさて、どちらなのでしょうか?


 気になる方は期間限定で春先に展示されますので観に行ってみてはいかがでしょう。


 それでは、これで終わります。少し、時間をいただけるなら下のスポンサーサイトを訪問して行ってもらえるとうれしいです。




 
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2006年07月12日

速報!紅白梅図屏風の金地について。

 梅雨がうっと惜しい日々(?)が続いています。雨の日は嫌いです。


 先日『美術フォーラム21』特集:美術史家の価値評価を問う 醍醐書房 06/04


 の中で尾形光琳筆「紅白梅図屏風」の金地についての考察が掲載されていました。


 今回は金箔を造っている職人の野口康氏にお話をうかがっています。大変興味深い論考でますます、謎が深まりました。


 さて、今回の野口氏の論考はどんなのかというと、「紅白梅図屏風の金地は実際の金箔を貼って作られている」というお話です。


 先回...と申しましてももう随分と前のことになりますが、紅白梅図屏風の金地の部分は「金箔に見えてそうではないかもしれない」という結果が、科学的な分析の結果判明しました。というお話を紹介させていただきました。


 その内容を軽く、まとめますと、金地の部分からは有機質を含むデータが出てきた―金箔は金属なので有機体ではない―ということ。金属の数値が、金箔が重なっている部分もそうでない部分も同じくらいの値が出てきた―金箔が重なっていれば普通なら、そうでない部分の2倍の結果が理論上は出てくる―ということ。細かなことはhttp://hipponnobijutsu.seesaa.net/article/13172638.html←こちらを参照してください。


 ということだったのですが、上に挙げたような疑問点について、一つ一つ考察しています。


 まず、その問題について考えるためには「金箔はどうやって作るのか」を知っておくと便利です。


 金箔は実は金だけで出来ている訳ではなく、「溶かした金に一定の比率の銀や銅を加えた合金をつくった上で、それを金床という工具でたたいて伸ばすそうです。


 金箔は触ってみると分かるように、すぐにあちこちに張り付いてしまうほど吸湿性があります。したがって、たたくときは湿気をほとんど持たない油鳥紙に挟んでその上からたたきます。今でも、金山の近くの町、例えば金沢などに行きますと、油鳥紙が名産品として売られています。


 そして、鼻息で飛んで行ってしまうくらい薄く伸ばします。その薄い金箔に暗いところで光を当てると、うっすらと光が通過します。つまり、実際に見えない位小さな穴がいくつも空いているのです。


 そして、次は金箔貼りです。箔押しと呼びます。今の金箔は竹の刃物で切って、正方形のかたちに整えて、膠の液を糊代わりとして屏風に貼り付けていきます。金属の刃物で切ると静電気が起こってくっついたりするので金属の刃物は使いません。(多分)


 貼るときには箔の端を重ねて貼り付けます。箔の端を重ねると、重なった部分に膠が浸透していって、接着するのです。この重なった部分が「箔足」と呼ばれる部分です。


 その後に、筆や綿を使って箔をなでる「綿かけ」という作業をするそうです。そうすることによって、屏風の台紙から浮き上がった余分な箔を払い落とすことが出来ます。浮き上がった余分な箔が浮き上がって、目に見えない小さな穴がいくつもそこに出来ます。


 箔足は箔の厚さが違うために光の反射が違い、それが色の違いとなって表れてきます。


 最後にその上に、膠を薄く塗っていきます。そうすることで、絵の具ののりがよくなった―金属の上には普通は絵の具を塗りにくいですね。それは金属の表面に凹凸が少なくて、また、水分を吸収しにくいからです。膠を塗ることで吸湿性と凹凸を表面に与えることになります―り、金の発色をよくなったり、金箔を保存することができるそうです。


 長くなってしまいましたので続きはまた後日ということで。詳しいことに関しては、


 美術フォーラム21 第13号 醍醐書房 06/04



 を参考にしていただければ幸いです。詳しく知りたい方だけで結構です。紙面で4ページくらいの短いお話ですから。


 ではまた、スポンサーサイトを訪れて行ってもらえると嬉しいな。



 
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2006年02月15日

紅白梅図屏風の見どころ―番外編

 今回でとりあえず、紅白梅図屏風は最終回ということにいたしましょう。実質先回を最終回にしていただいても構いません。で、今回は番外編ということで、面白い見方を紹介したいと思います。けれども、これからお知らせする見方というのは見方によっては「リビ道」的だと感じられるかもしれません。

 はっきりいって、劇薬だと思います。素直にこれからも紅白梅図を見たいと思われる方は読まないほうがよいかもしれません。業界では有名な論文の一部で、執筆者も第一線で活躍をされていた偉い学者さんの論文です。

 小林太市郎という神戸大学の教授をなさっていた先生の論文で、少々古い論文ですが、その内容は全く色褪せてはいないといえるでしょう。それを読んだ者に与える絶大なインパクトとその後の紅白梅図屏風に対する見方に革命を起こすいわば劇薬なのです。

 紅白梅左隻.jpg 紅白梅右隻.jpg

 「嬲る」という字は「男」の間に「女」が挟まっています。その構図がまさしく紅白梅図屏風の構図だという説です。

 そう、図中で「男」に当てはまるものが紅梅と白梅です。今から出てくる中村内蔵助は光琳のパトロンとされている人物ですが、詳しく述べると長く厄介ですから端折ります。向かって左の白梅が尾形光琳だそうです。そして、右側の紅梅が内蔵助だそうです。

 いまから、小林市太郎先生の文章を少し引用しましょう。

 「(前略)それはとにかく、この屏風はまったく嬲るという字を絵で描いている。
 まず、中央の豊満な水の流れ、それがちゃんと女体になっていることを、なぜ人は見ないのであろうか。仰むけにのけぞった頸から胸の乳、みずおち、なだらかな腹、恥骨のあたり のやわらかなふくらみにいたるまでを、その正面はこまやかに魅惑豊かにあらわしている。
 また背面はわざと巨大な尻をつき出して、後ろからそーっと忍びよる紅梅すなわち内蔵助をはじき返している。いざこれから玉樹後庭花でゆこうというたのしいところを、肘鉄ならぬ尻鉄くってどんとはねとばされた紅梅は、おどろいて両手をあげ、だあとなって両足をひろげ、一物勃起したままどうにもならずにしゃきりたっている。
 これに反して光琳の白梅は、太く逞しく強ばって重量感ある大きい根をゆらりゆらり揺りうごかして下腹をねらい、その枝は手のように肘をまげて乳の先をまさぐっている。そして、樹根は恥骨をたたきながら、「どうだ、俺のは太くて固いだろう。内蔵助の痩せっぽっちは色男のように見えるけれども、あの日干しのみみずのようなのは話にならぬ」と、得意がっていよいよ太く大きくふくれてゆくようにみえる。そしてその古怪な亀頭がいかにもそこに嗅ぎ寄って、目をつむって匂いをたのしんでいるようなのがおかしい。光琳が事実こんなきもちでこの絵を描いたことは、なによりもこの絵じしんがもっともよく示している。この絵をしばらく見ていると、まったくそういうふうにみえる。というのは、ほんとうに光琳がそういうきもちでこの絵を描いたからにほかならない。実際女の肉体は、股のあたりに顔をつけて上方を望むとこんな形に見える。
 (中略)光琳はそのものとしては描かないけれども、つねに花鳥山水の形で示唆している。彼の絵はたいていそれを含んでいる。それをどこかにおもしろく隠している。しかもさらによくみると、水の流れの光琳波が乳房の所では大きく波うって白梅の把握をもとめ、樹根のはげしい息吹を感ずる下腹の辺りではこまかくささめいてときめきふるえ、また、紅梅をはねかえす尻の所では楯のように竝立するなど、波の形のおもしろい変化が、女体の各部位のさまざま異なる感動をじつに微妙に的確にあらわしている。それはまったく二人の中に寝そべったさん女の芳烈な肉体というほかはない。光琳は白梅の太い根が自分の根であることを念押しして強調するために、そのすぐ下にまちがわぬように法橋光琳と署名している。
(後略)」

 とまあ、こんな風に見ておられるわけです。最後の一文はかなりおもしろかったです。普通の読み物として読んでも十分耐えうるクオリティを持っていますね。

 この論文は一度読むと読者の脳裏に摺込まれてしまって、その後はどうしもうもなくなってしまうのです。だから、読まないほうがよいかもしれないと言ったのに...。

 ということで、おもしろかったでしょ?

 次回は何をしましょう?福岡市博物館で雪舟の関連の展覧会があるので雪舟をやってみましょう?

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<参考文献>
光琳と乾山『小林市太郎著作集』6
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2006年02月12日

紅白梅図屏風の見どころ(4)

 みなさん。おはようございます。

 今日は今私が一番興味を持っています紅白梅図屏風の「地」について考えて見ましょう。

 先回の記載で、「流水文の謎」についての話題を取り上げました。今回は「地」の部分の謎について関連するところですので、先回の内容も思い出しながら進んでいってください。

 紅白梅右隻kirinuki.jpg 紅白梅右隻kirinuki部分.jpg

 もともとは、流水文の技法を調べようとした光学調査の「ついで」に行った調査の副産物が「地」の謎を呼んだそうなのです。で、「何が謎なのか?」勘の鋭いみなさんならば、もうお察しのことでしょう。そう、「地」の金箔とされている部分が果たして「本当に金箔なのか?」ということです。

 流水文の部分からは銀の成分が検出されなかったことから、「銀ではない」ことはほぼ決まりですが、この金地からは多少金の成分が検出されています。

 つまり、金は使われているということです。「何が言いたいのか」ですが「地」の部分が金「箔」で作られているのか。金「泥」と黄色の着色で作られているのか。ということです。

 どちらも同じ「金」ではないかと思われるかも分かりませんが、箔と泥ではエライ違いなんです。何が違うかというと基本的なところでは「箔」は金箔を貼って作られます。「泥」は筆を使って塗っていきます。したがって、「箔」には重なって濃くなる部分(箔足)ができるし、「泥」は普通に塗れば箔足はできません。

 紅白梅図屏風、実物を観ていただければよく分かりますが、箔足が見えます。けれども、現代の常識からしてみると、「箔」にしては金の含有量の数値が明らかに低いのです。さらに、箔足の部分は金が重なっているから、通常は金の含有量の数値が倍になるはずなのに必ずしもそうなってはいないのです。

 「これは一体なぜか?」

 このことが今、話題になってなっている紅白梅図屏風の謎なのです。

 これが、もしも金箔だとすると今の技術力では到底作り出すことが不可能な極めて薄い金箔を江戸時代の職人たちは作っていたということになります。それはそれですばらしい発見だといえるでしょう。

 一方で、これが金泥と黄色の着色であったとすると、「なぜ、わざわざ箔足を描いたのか」が興味を惹くところです。

 鑑賞するみなさんとしては、どちらなのかも見てみると良いと思いますが、このような現代の常識から外れた江戸時代の趣向をこのあたりから感じ取って楽しんでいただけたらよいのではないかと思います。

 江戸時代って意外と豊かで人々が生き生きとしていた時代だったんですね。それで、光琳絵画とか松浦図屏風とか彦根図屏風とか若冲とかが生まれてきたんでしょうね。そうやって考えると江戸時代ってとてつもなく大きなエネルギーをその時代の中に含有していたといえるでしょう。現代の私たちの社会よりももっともっと生き生きとしたエネルギーを。

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2006年02月08日

紅白梅図屏風の見どころ(3)

 今回は紅白梅図の構図から光琳のデザイン感覚を見てみましょう。

紅白梅左隻.jpg 紅白梅右隻.jpg

 一見しただけで、光琳の構図は上から下へと私たちの視線をいざなっていくような構造だと見て取れますね。光琳以前までは、一つの連続した画面を真ん中で切ってしまうような方法はほとんど行われていなかったといってもよいでしょう。

 少し抽象的な言い回しになってしまったので紅白梅図に戻りましょう。つまり、二隻の屏風があって、その対になっている二つの屏風は画面がつながっていますね。けれども、二つを並べた時に上から下へ流れていく水流によって画面が分断されています。これは、衣装表現を絵画の中に持ち込んだせいだという説があります。つまり、衣装は縦にモチーフを配置するのです。衣装は縦長なので当たり前といえば当たり前なのですが。 光琳衣装.jpg

 さらに言えば、水の流れは向こうから流れてきて、こちらに流れていますね。その左右の白梅も紅梅も枝が画面から外に飛び出て躍動しています。

 こんな風に画面の中だけでそれぞれのモチーフをきっちりと納めるわけではなく、観ている私たちに画面の外へと意識をいざなっています。根本的な意識は異なるかもしれませんが、この外へと鑑賞者の意識をいざなおうとする手法は光琳だけではなく、宗達にも見られる手法だといえるでしょう。
 
 実は尾形光琳と俵屋宗達は生きた年代は違えど、全く無関係ではないのです。詳しいことはその後に回しますが、どうやら、光琳は幼い頃から宗達の絵画に接していたようです。その辺りに光琳の画面の外へとモチーフが躍動していくヒントがあるのではないでしょうか。

 光琳は宗達の風神雷神図屏風を模写していますが、風神雷神が乗っている雲がどちらも画面の外へと躍動しています。その雲を描く意識は宗達と光琳では全く異なっているともいえます。

 その違いとは何でしょうか?こういった謎を調べたり発見したりすることも美術を観る醍醐味の一つだといえるでしょう。調べてみてください。

宗達風神雷神

soutatu.jpg

光琳風神雷神

光琳風神雷神.jpg

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2006年02月06日

紅白梅図屏風の見どころ(2)

 みなさんこんばんわ。早速、先回の続きをはじめましょう。

  紅白梅右隻kaizou.jpg 紅白梅右隻水流部分.jpg

 先回は流水文と光琳の関係を見ましたね。今回はその流水文にまつわる謎について考えて見ましょう。

 まずは流水文の暗い部分を見てください。

 専門家の間では、数年前まではその部分が「製作当初は銀色で、その銀が時と共に酸化して黒くなった」という説と、「最初からわざと銀を酸化してこのような色にした」という説が有力でした。

 酸化とはつまり、「さび」のことで、銀が酸化すると「黒」に変色します。意図的にしたのか、想定外のことだったのかという議論がされていたのです。

 この黒い部分がもともと銀だったとすると、銀色の水流に金色の月明かりが映える何とも美しい景色だったことでしょう。と、考える人たちが多かったのです。実際、私もそうだとばっかり思っていました。

 三年くらい(だったと思います)前に、特殊な金属を量る装置を使って紅白梅図屏風が測定されました。けれども、金属の反応が全くありませんでした。と、いうことは...

 そう、この部分は金属ではないということです。つまり、初めから銀色には塗られていなかった。初めから濃い紺色だったということになります。学芸員が銀だ銀だといっていた真っ只中で、画家の間では実しやかに「あれは清穆(せいぼく)ではないだろうか」と囁かれていたそうです。清穆とは中国で発明された新しい(光琳当時)墨で藍色の成分が強く現れる特徴を持ちます。

 つまり、専門家が言っていることでも必ずしも正しいとは言えないのですね。

 まだ、この紺色?黒色?の材料は何か決定できておりません。みなさんも一度じっくりと眺めてみてはいかがでしょう?

 では、なぜ黒色にしたのでしょう?

 これも、はっきりとした定説はありません。分からないのです。そのような現状であることを念頭に入れながら、私が賛同する説を紹介しましょう。

 この水流の黒色は「夜」を表している。これが私の賛同する説です。つまり、水流の黒色の部分は「夜空」を反射しているのです。そして、金色の地の部分と、水流の金色の部分は「月明かり」を表しているということになります。そこに、白梅と紅梅が浮かび上がるそんな幻想に浸れるかもしれません。

 そんな風にイメージして一度、紅白梅図屏風を眺めてみてはいかがでしょう。現在、静岡は熱海にあるMOA美術館で公開中です。この機会を逃すと、次に見られるのは来年です。

 ということで、次回は光琳の画面構成について見ていきましょう。

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2006年02月03日

紅白梅図屏風の見どころ(1)

 長い間ご無沙汰しておりました。ここ何日間か、私の人生の一つのターニングポイントを迎えていたことで、更新できませんでした。今日からまた、元気に更新しますので、興味のある方々はまた付き合ってやってくださいませ。

 さて、先回告知いたしました通り、今回は紅白梅図屏風の中心部に配置されている水流について見てみましょう。

 紅白梅右隻kaizou.jpg 紅白梅右隻水流部分.jpg

 左側が紅白梅図屏風の右隻で、右側が白線で囲んだ辺りを拡大した画像です。

 先回記したように、本図は「金地着色」ということになっているので、その言葉どおり受け取れば、水流の金色の部分は金箔の「地」の部分ということになるのでしょうか。その上から、紺色で水流の「暗」の部分を描いています。

 この水流は「観世水流文様」とか「流水文」といった呼び名で呼ばれる文様です。この文様は、光琳の代表的な模様で、私に言わせて見れば「これぞ光琳!!」というものの一つです。

 水流の暗い部分から浮かび上がってくる金色の部分は大小の同じ「ような」かたちが繰り返されているように見えます。このような同じかたちを繰り返すのも光琳の感覚の一つと言えるでしょう。

 では、このような感覚はどこからやってきたのでしょうか?

 光琳の実家は「雁金屋」という染物屋でした。光琳も弟の乾山も雁金屋の跡継ぎにはならなかったのですが、光琳はそこで、染物屋の衣装のデザインを学んでいたのでしょう。

 水流のように、大小の同じかたちを繰り返すデザインは、まさしく衣装の染物のデザインに使われている「型紙」と呼ばれる道具を使って表す方法を絵画に使ったのだと考えられています。

 型紙の性質を絵画の制作に利用することは紅白梅図屏風だけでなく、群鶴図屏風など多くの光琳の絵画に使われています。燕子花図屏風もそうでしょう。

 この紅白梅図屏風の水流を縦に配置するのも、衣装にデザインをするときの独特の表現とも言われています。そのように、この水流のデザインには以上のような光琳の出生の経歴が込められているのです。

 長くなりそうなので今日はこの辺りにしておきましょう。また次回に続けましょう。次回は本当に「金地」だったのかということも含めて、水流を見ていきましょう。

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2006年01月27日

紅白梅図屏風―尾形光琳

 先回告知しました尾形光琳の紅白梅図屏風について、そろそろ始めたい多と思います。

 紅白梅左隻.jpg 紅白梅右隻.jpg

 尾形光琳筆、国宝、紙本金地着色、二曲一双、各156.5×172.5p 熱海・MOA美術館

 少しデータの見方を解説をしましょう。

 尾形光琳筆→作者

 国宝→国の評価。あと、(国指定)重要文化財(重文)とか県指定・市指定という重要文化財、重要美術品とかいうのがあります。

 紙本金地着色→紙がキャンバスとなっていて、金で「地」をつまり下地を塗っています(金箔のときがほとんどですが)。その上に絵を着色で描いています。ということです。水墨画なんかだと「紙本墨画」とか「紙本墨画淡彩」となります。

 また、キャンバスが絹でできているときは「絹本(けんぽん)〜」という風になります。

 二曲一双→二曲とはつながっていて折りたたむようになっている部分の数です。一双とはそれが二つでセットになっているということです。屏風一つ分は「隻(せき)」という単位で数えます。つまり、「隻」が二つ一組で「双」なんです。

 各156.5×172.5p→これは大きさですね。屏風が一双ですから、「各」と複数で表しています。

 MOA美術館→所蔵場所です。大体、美術館・博物館とかお寺が多いです。時々「個人蔵」という所有者が個人のときもあります。「茂吉岡田アソシエイション」だそうです。詳しくはこちら

 以上、基礎データの見方を記しておきました。

 これからの予定としては、

 1.水流について
 2.光琳の画面構成
 3.かたちのおもしろさ
 4.背景の謎

 について、見ていきたいと思っています。

 では、今回はこのへんで。また下の広告をクリックしていってください。

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