2006年07月29日

若冲展のタイル絵は若冲の絵か?

 まずは東京国立博物館で現在展示されています「鳥獣草花図屏風」いわゆるタイル絵をご覧ください。

若沖百獣図屏風2左web.jpg

           若沖百獣図屏風2右web.jpg

 
 次に、若冲だと確定しているタイル絵をご覧ください。

若沖白象群獣図web用.jpg


 次に少し怪しいか?というタイル絵をご覧ください。

若沖百鳥図屏風左web.jpg若沖百鳥図屏風右web.jpg

若沖百獣図屏風右left.jpg若沖百獣図屏風右right.jpg

 いかがでしょう?こちらの手違いで、画像がおかしくなってしまいました。ごめんなさい。

 
 さて、みなさんはすべて、若冲の絵だと思いますか?比較してみてください。


 私は先日、タイル絵を見たときは「この執拗さは若冲だ!」と思いましたが、こう比較してみると少しというか、かなり考え込んでしまいます。


 というのは、「この執拗さ」は「タイル絵が一つしかない」と思っていたからこそ、そう思ったのです。「この発想は若冲しかできない。」と。けれども、このようにいくつもタイル絵が出てきますと、誰かが「若冲のタイル絵を真似て描いた」と考えることが可能になるのです。


 みなさんはどう思いますか?ご意見、ご感想をお待ちしています。みなさんの意見が聞きたいな。
posted by にわか at 00:58| Comment(4) | TrackBack(0) | 伊藤若冲 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年07月24日

若冲展覧会評

 今回はインテリゲンチャ風の文体で書かせてもらいます。たまにはいいでしょ?


 先日伊藤若冲の絵画を見に行った。若冲といえば江戸18世紀を代表する日本画家。ちょうど江戸絵画の巨匠、尾形光琳と入れ違いになって京都に生まれた。


 JR東京駅に降り立ち、丸の内北口に向かう。宮内庁三の丸尚蔵館に行くためにはここがいい。他にも乗り継げば近い駅はあるが、面倒臭かったためにここからの出発にした。三の丸尚蔵館は東京駅丸の内北口を背に真直ぐ10分位歩いたところにある。


 今ここの展示作品は尾形光琳にあこがれて独学で光琳を学んだ酒井抱一という江戸時代19世紀の画家の絵と、伊藤若冲の動植綵絵というのが展示されている。 他にも他作家の展示品があるけれど、それはたいしたことない様に思われた。


若冲鳳凰.jpg 


 この若冲の絵が今の時期の展覧会の見どころのひとつ。手塚治虫の火の鳥に出てきそうな陰気な目をした鳳凰が描かれていたり、若冲得意の鶏が描かれていたり、水辺の生き物や海中の生き物だったりと確か6点が展示されていた。


 伊藤若冲の動植綵絵シリーズは確か30点くらいあったような気がするけれど、嘘かもしれない。この点に関しては自信がない。ただ、連作のシリーズであることは確かでこの一連のシリーズは若冲が京都の相国寺の仏教信者でお布施として寄附した作品だと聞いている。


 この絵の細部を見ていると、若冲の仏教に対する真摯な姿勢が全ての部分に手を抜かないという質の高さから十分に感じられた。そう、この絵の見どころとは、全体のバランスもさるものながら、細部の細やかさもそのひとつ。一本一本の細い線が大変デリケートで私のような凡人にはとても描けそうにない習熟したせんで、若冲の特徴である執拗さも現れている。できれば単眼鏡を自賛してガラスケース越しに細部を拡大して、なめるように全体を見ていただきたい。


若冲鶏.jpg


 たとえば、鶏の毛並み。一本一本の羽根の毛が丁寧に描かれていて鶏の羽根の質感がとっても心地よくこちらに伝わってくる。それは羽根のやわらかさとかツヤとかいったもの。実際に鶏の羽根がそうなのかは知らないけれど。

 
 その後に、上野の東京国立博物館に移動。昼食も食べずに夕方まで江戸時代のアバンギャルダーの絵画を鑑賞した。例えば長澤芦雪、曽我蕭白、円山一派、伊藤若冲。彼らの絵画は細部まで手を抜かず、なおかつ、遊び心も感じられる。まさにアバンギャルドで芸術の先駆者と言った感じがした。彼らの感覚はモダンアートの中においても新鮮さを失わないように思われる。


 若冲のタイル絵と呼ばれている屏風絵がそこにはあって、ひとつの見どころといってもよい。屏風の上はもちろん紙である。しかし、そこには何故かタイルが貼ってある。


 実際はそんなことはないけれど、隣で観ていたの中年の女性はタイルだと思っていた。そのくらいタイルを屏風に貼り付けたように見えて、だまし絵のようだった。その中のキャラクター一つ一つは子供向けの絵本に登場するような愛らしさがあって面白い。私はこの屏風を眺めていて、若冲の絵画は仏教的に十分に説明できると確信した。


 図を挙げないで説明するのも気が引けるけれど、少し紹介させてもらうと、右隻の左から三曲目には龍と獅子を足して二で割ったような現実にはいないと思われる動物が描かれている。その上のほうには黙渓の観音猿鶴図に描かれるような猿が描かれていて、そのかたちは仏教的な猿のかたちを継承している。右から二曲目(?)の象も仏教では普賢菩薩の乗り物になる。左隻に目を遣ると、左から二か三曲目に鳳凰か孔雀(たぶん鳳凰だと思う)がいる。鳳凰だとしたら、こちらも空想上の生き物だということになる。そして、中央部の連なる一連の鳥の群れは、正倉院の琵琶のカンパチ部分に描かれる、遠山に向かって飛んでいく雁の群れを想起させる。

 
 ざっと挙げただけでもこれだけの仏教との関連を指摘できる。あくまでも、私の思いつきなので反論はたくさん出ると思うけれど。


 展覧会の全体を眺めてみると、やっぱり、東博の特別展も細部の面白さが際立った。たとえば、入ってすぐ向かって左側に展示されている一群の掛け軸、らくだとか虎とか猿とかがある。その一連の掛け軸群の中で、猿の絵が二つ並んでいる。その右側の絵なんかはよく細部まで眺めてみると、手前の猿が右手に何かを掴んでいる。そのことが分かると、獲物に向けられた猿の視線を感じられる。そして、その獲物を睨みつける猿にも表情がある。その後ろにいる猿も同じような表情がある。


 こうやって、細部を眺めているとハッとするような発見が少なくない。絵を鑑賞する時の私の醍醐味の、ひとつの楽しみになっている。作者との対話、作品との対話そんな風に思っている。そんなことは私の勝手だけど。

 
 そして、若冲展を出ると先にはもうひとつブースが続いている。琳派展だった。この琳派展では照明を変化させることによって屏風の見え方が変わるという面白い展示だった。


 たとえば、光が強いときには屏風全体がフラットな見え方をする。逆に光が弱くなっていけば屏風の印象に深みが増す。つまり、奥行きが出て、立体的に見えてくる。


 この、魅せ方のアイディアは私にはアバンギャルド的に思われた。目からウロコが落ちたといった感じでとても興味深かった。


 たしかに「屏風が作られた時代―江戸時代―にはこういう見え方をしていたんだろう。」と思った。朝起きた時の屏風の見え方。お昼の明るい時の屏風の見え方。それから昼下がり、夕方へと変化していく明るさの中で実際に屏風を使う場面に即した、本来の屏風絵の見え方だと思った。


 美術は美術館で。という固定観念から一定のライトに照らされた作品が当然の美術だと思ってきたわけだが、それは近代的な発想であったのだとハッとさせられる。私にはそんな新しい発見だった。


 光のイリュージョンでいろんな見え方を鑑賞者に見せるという今回の試みは、今後展覧会で主流になっていくと私は勘繰っている。そのくらい今回の光の効果的な利用というのは魅力的な試みだと感じた。学芸員の方の遊び心を感じて、見習うべきだと思った。


 私はアバンギャルドな学芸員にはあこがれる。学芸員は研究もしなければならない。そして、美術史の中で語り合っている研究の中から、出来るだけ本質的なものを取捨選択して、社会に還元していかなければならない。


 学芸員とはそういう仕事だと最近思うようになった。その努力をしなければ、美術は「崇高」なものとして崇められて、どんどんと人々からは遠い存在になっていく。


 だから、そんなことにはならないように努力しなければならない。そんな仕事をしてみたいと思った。
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2006年07月16日

伊藤若冲のお話の続き。

 そういえば、若冲のお話が途中になっていましたので、若冲の続きを語らせてもらいます。


 今回は先回の若冲のお話で私自身消化不良を起こしてしまった、若冲の造形感覚についてもう一度考えてみたいと思います。


 その点について、先回は


 「例えば、上の図なんかはニワトリのリアルさに加えて、若冲独特といえると思いますが、図を立体的に処理しないという点。つまり、立体的な構成を捨てている点なんかはらしいといえます。


 奥行き感なんかは観るとありそうに思えますが、そうなんです。上手くいえませんが、立体感というかデザイン的な処理の力が強すぎるというか...わかっていただけるでしょうか?」


 と表現しました。この私の舌っ足らずな文章を補完説明してくれる文献の引用をもってもう一度説明させていただきたい。


 今回参考にする文献は近世美術史研究者のバイブルと言っても過言ではない、辻惟雄著「奇想系譜 又兵衛―国芳」ちくま書房

奇想の系譜奇想の系譜
販売元 : Amazon.co.jp 本
価格 :
[タイトル] 奇想の系譜
[著者] 辻 惟雄
[種類] 文庫
[発売日] 2004-09-09
[出版社] 筑摩書房

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 詳しくはリンクを貼っておきましたので、リンク先のレビューでも呼んで参考にしてください。ちなみに、一つ目の岩佐又兵衛のお話は大変面白いと思います。絵自体も偏屈な人物描写がコミュカルナ感覚を想起させてきます。


 そんなことは、今回は割愛させてもらって、早速、本題に入りましょう。


 上の辻惟雄先生の言葉を借りると、


 「(前略)だが、応挙が、動植物図鑑の挿図画家を思わせる几帳面な態度で、それらの形状の精密なコピーに腐心しているのにくらべ、「池辺群虫図」に描かれている<虫の楽園>には、ユーモアとグロテスクのカクテルされた、なんとも不思議な表情があるし、「貝甲図」を見ると、貝殻のかたちや色の幻想的な美しさをとらえている。これほど鋭敏な触覚を応挙を含めた当時の他の画家が持ち合わせていたとは考えられない。とくに、「貝甲図」の画面で、波打ち際に這う波頭の、軟体動物かアミーバの触手のような生き物めいた表情に注目していただきたい。シュルレアリスムの作品を連想させるような、この驚くべきイメージは、全く若冲のオリジナリティに属するものなのだ。


(中略)五色の羽のきらびやかな美しさを誇るこれら外国種の鑑賞用ニワトリやシャモを、若冲は自宅の庭に飼って執拗に鑑賞し、写生したわけだが、鶏の専門学者にいわせると、各部分のプロポーションや器官のかたち、位置などが、応挙のそれにくらべてはるかに不正確であり、写生画としてはあまりよい点がつけられないそうだ。だが、そのような外形の正確な再現が若冲の<物>に即することだったろうか?たとえば山下清の貼り紙による模写で有名な「群鶏図」では抽象模様に置きかえられた羽根のパターンの幻想的な交響と、その間にちりばめられたトサカの、赤い妖星を想わせるフォルムの反復とが、製作意図のありかを示している。ピカソ描くニワトリのように、デフォルムされたドウモウな脚とクチバシを持つ。「南天雄鶏図」のシャモの異様な美しさも、彼の内的ヴィジョンの強烈さを物語るものだ。彼のいう<物>に即しての観察写生とは、結局のところ、相した固有のヴィジョンを触発させるための手段にすぎなかったのではなかろうか。若冲の写生について、『画乗要略』が、"然レドモ形似二務メズ写意ヲ貴ブ"と述べているのも、この辺りをさすのだろう。(後略)」


 と表現されています。そう、先回私が言いたかったのはこういうことなんです。


 つまり、「図を立体的に処理しないという点」というのは「実物のデフォルム化」のことで、写実的ではない妖艶さとかそういった感覚が漂うような魅惑的な感じがする」ということかもしれません。今の表現で後半部分で余計な形容詞を付け加えて自分の感覚とはずれてしまったようなきらいがあります。なんとも舌っ足らずな私には歯がゆいです。


 勉強不足ですね。もっと絵を見てプレゼンのスキルを磨かないといけないなと自省してしまいます。


 今回の辻先生の言葉を借りて大体の私の若冲の絵から得るインスピレーションは伝えられると思います。辻先生の著作からも分かるように、若冲は「奇想」のカテゴリーに入れて考えられています。それほどに、彼の表現はその時代の中で斬新で、今の我々にも新鮮に感じられるのでしょう。


 先回も同じ事を申し上げましたが、この若冲の絵画をイコノロジーで解釈できるかが、私の若冲に関しての一大関心事なのです。

 
 この問題に関してはまた、次回に後回しになってしまいましたが、いずれは、考えてみたいと思っています。もっとも、結論を見出すことまでは私自身期待しているわけではありませんが。


 図はいぬまゆさんのブログにアップされていますので、そちらをご参照ください。手抜きでごめんなさい
http://blog.livedoor.jp/inumayu/archives/50781883.html


posted by にわか at 18:13| Comment(2) | TrackBack(0) | 伊藤若冲 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年07月14日

続・深まる紅白梅図屏風の金地。

 さて、先回は紅白梅図屏風に関連して、金箔について記させてもらいましたが、今回は金箔の使い方を中心にして考えてみたいと思います。


 先回紹介しました、箔師・野口氏によると、江戸時代の金箔と比べてみると、基本的には金箔の貼り方は同じだそうですが、一つだけ目に見えて異なる部分があるそうです。


 それは何かというと、「箔のかたちを整えること」だそうです。例えば俵屋宗達の風神雷神図屏風の金地の一部分を取り出してみます。

箔.jpg

 今の金箔ならば、正方形に形を整えるので、図のような輝線が不規則に正方形内に現れてくるようなことはありません。しかし、上の図を見てみると、どうでしょう。輝線(金箔が重なっていて濃く見えるところ)が不規則に現れています。


 これは、金箔が今のような正方形ではなくって、モザイクのように継ぎ重ねられているからだそうです。


 なぜこんな継ぎ方をするのでしょう?


 野口氏は一試論を展開しています。今と昔では金箔の形の整え方が違うと考えています。おそらく、今のような正方形に切りそろえる製法もあり、加えて、なるべく切り落とす部分を少なくするように上の金箔部分のようにあちこち継ぎながら正方形に近い形に整形する方法も並存していたのではないかと言っています。


 このお話の中ではいくつかの継ぎ方の例が記してありますが、ここで紹介する術がありませんので、またの機会にさせてもらいます。


 このようにして、不規則な輝線が出来ているそうです。あくまでも一試論ですが。


 そこで、第一の疑問である「金地の部分から検出された金の測定値が微量の上に一定していないこと」について。


 この問題の根底にある認識は現在手に入れることの出来る金箔の薄さ0.1μmだということです。そして、継ぎ重ねをすることで、箔足だけでなく、いろいろな部分の厚さがまちまちになってきます。つまり、金の測定値が一定ではなくなるということです。そのため、箔足の部分がそうでない部分に比べて必ずしも二倍にならないのです。


 次の疑問は「金地の部分には有機物が付いている」こと。つまり、金箔ならば有機質ではなく、金属なので有機質は検出されないのではないか。ということです。


 この問題に対しては、先回紹介しましたように、金箔を貼るときに膠を接着剤代わりにします。膠とは動物のコラーゲン(皮や骨)を原料としていますから、膠を塗っていれば有機質は検出されるのだと説明できます。


 さらに、金は金属なのでなかなか絵の具が乗りにくい。弾いてしまうということです。それで、金箔の上から膠を塗るそうです。金地の上に見える筆の線はそれを塗ったときの刷毛の後だと説明されています。


 このように、金地は金箔を貼ったものだという論客の主張も合理的なものと考えられるようになりました。金箔説も非金箔説も確からしいということは、どちらなのかわからないということになります。さてさて、どちらなのでしょうか?


 気になる方は期間限定で春先に展示されますので観に行ってみてはいかがでしょう。


 それでは、これで終わります。少し、時間をいただけるなら下のスポンサーサイトを訪問して行ってもらえるとうれしいです。




 
posted by にわか at 22:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 尾形光琳 紅白梅図屏風 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年07月12日

速報!紅白梅図屏風の金地について。

 梅雨がうっと惜しい日々(?)が続いています。雨の日は嫌いです。


 先日『美術フォーラム21』特集:美術史家の価値評価を問う 醍醐書房 06/04


 の中で尾形光琳筆「紅白梅図屏風」の金地についての考察が掲載されていました。


 今回は金箔を造っている職人の野口康氏にお話をうかがっています。大変興味深い論考でますます、謎が深まりました。


 さて、今回の野口氏の論考はどんなのかというと、「紅白梅図屏風の金地は実際の金箔を貼って作られている」というお話です。


 先回...と申しましてももう随分と前のことになりますが、紅白梅図屏風の金地の部分は「金箔に見えてそうではないかもしれない」という結果が、科学的な分析の結果判明しました。というお話を紹介させていただきました。


 その内容を軽く、まとめますと、金地の部分からは有機質を含むデータが出てきた―金箔は金属なので有機体ではない―ということ。金属の数値が、金箔が重なっている部分もそうでない部分も同じくらいの値が出てきた―金箔が重なっていれば普通なら、そうでない部分の2倍の結果が理論上は出てくる―ということ。細かなことはhttp://hipponnobijutsu.seesaa.net/article/13172638.html←こちらを参照してください。


 ということだったのですが、上に挙げたような疑問点について、一つ一つ考察しています。


 まず、その問題について考えるためには「金箔はどうやって作るのか」を知っておくと便利です。


 金箔は実は金だけで出来ている訳ではなく、「溶かした金に一定の比率の銀や銅を加えた合金をつくった上で、それを金床という工具でたたいて伸ばすそうです。


 金箔は触ってみると分かるように、すぐにあちこちに張り付いてしまうほど吸湿性があります。したがって、たたくときは湿気をほとんど持たない油鳥紙に挟んでその上からたたきます。今でも、金山の近くの町、例えば金沢などに行きますと、油鳥紙が名産品として売られています。


 そして、鼻息で飛んで行ってしまうくらい薄く伸ばします。その薄い金箔に暗いところで光を当てると、うっすらと光が通過します。つまり、実際に見えない位小さな穴がいくつも空いているのです。


 そして、次は金箔貼りです。箔押しと呼びます。今の金箔は竹の刃物で切って、正方形のかたちに整えて、膠の液を糊代わりとして屏風に貼り付けていきます。金属の刃物で切ると静電気が起こってくっついたりするので金属の刃物は使いません。(多分)


 貼るときには箔の端を重ねて貼り付けます。箔の端を重ねると、重なった部分に膠が浸透していって、接着するのです。この重なった部分が「箔足」と呼ばれる部分です。


 その後に、筆や綿を使って箔をなでる「綿かけ」という作業をするそうです。そうすることによって、屏風の台紙から浮き上がった余分な箔を払い落とすことが出来ます。浮き上がった余分な箔が浮き上がって、目に見えない小さな穴がいくつもそこに出来ます。


 箔足は箔の厚さが違うために光の反射が違い、それが色の違いとなって表れてきます。


 最後にその上に、膠を薄く塗っていきます。そうすることで、絵の具ののりがよくなった―金属の上には普通は絵の具を塗りにくいですね。それは金属の表面に凹凸が少なくて、また、水分を吸収しにくいからです。膠を塗ることで吸湿性と凹凸を表面に与えることになります―り、金の発色をよくなったり、金箔を保存することができるそうです。


 長くなってしまいましたので続きはまた後日ということで。詳しいことに関しては、


 美術フォーラム21 第13号 醍醐書房 06/04



 を参考にしていただければ幸いです。詳しく知りたい方だけで結構です。紙面で4ページくらいの短いお話ですから。


 ではまた、スポンサーサイトを訪れて行ってもらえると嬉しいな。



 
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2006年07月06日

マニア伊藤若冲は私とは合わないのか?

 ご無沙汰です。若冲について時々思考をめぐらせてここ数ヶ月経ちますが、相変わらずインスピレーションが湧いてきません。


 私の疑問その一。若冲の絵を観ていてもいつの時代なのかビビッとインスピレーションが湧いてこないのです。なぜかよく分からないのですが、たぶん、若冲のデザインセンスが近代のそして、現代の美術に通じるものがあるからなのかもしれません。


若冲ニワトリsmall.jpg

 例えば、上の図なんかはニワトリのリアルさに加えて、若冲独特といえると思いますが、図を立体的に処理しないという点。つまり、立体的な構成を捨てている点なんかはらしいといえます。


 奥行き感なんかは観るとありそうに思えますが、そうなんです。上手くいえませんが、立体感というかデザイン的な処理の力が強すぎるというか...わかっていただけるでしょうか?


 あるがままに描こうとする意思は感じられなく、徹底的に「絵」を描くことにまい進しているような気さえしてくるような絵画です。

若冲さくら.jpg

 この上の絵画なんかこれでもかこれでもかというほど徹底的に樹と枝と花がそして小鳥が描きこまれています。若冲が絵を描く「マニア」と呼ばれる由縁です。


 そして、この絵からよく感じられますが、やっぱり何か現実離れしている絵のような気がしてきます。貼り付けたような感じ...この感覚はどこから来るのか分かりませんが、観ていると何故か不思議な感覚に襲われるのです。


 ここで、少し伊藤若冲のプロフィールを紹介させていただきましょう。若冲は西暦1716年に京都の青物問屋に生を受けたそうです。おそらく尾形光琳のような境遇だったと想像できます。ちなみに光琳は若冲の生まれた年になくなっています。ちょうど入れ違いですね。


 若冲の生きた時代はどんな時代だったかというと、吉宗が1716年に暴れん坊将軍になっているような時代で、だんだんと社会に閉塞感が感じられるようになってきた時代です。そしてついに、老中松平定信の寛政の改革が1787年に始まります。


 ちなみに開国は1854年です。門外漢の私が若冲の絵を観るとこの頃のような直感がよぎるのですが、一世紀ずれていますね。なんでかなぁ...


 話は若冲に戻って、23歳のとき、父・源左衛門の死去に伴い、4代目枡屋(伊藤)源左衛門を襲名しました。そして、しばらく経ってからゴタゴタ事情が絡みまして、隠遁します。


 若冲は最初は狩野派に入門して絵の勉強をしたそうです。狩野派の手法によっていたら狩野派を越えることはできない。だから「宋元画を学ぼう」と考えて、中国の宋や元の時代の絵画を模写することを始めました。宋元画を学ぶだけでは宋元の絵画の枠を超えることはできない。現実の鳥を描こう。何がよいか。身近にいるニワトリを描こう。


 という逸話があります。だから、鳥の絵が多いんですね。


 最後に若冲の絵にはモダンな空気を感じるオイラの感覚を紹介して今日の締めにさせていただきましょう。次も、オイラの疑問その二を紹介させていただきます。


 若冲の絵画をどこまでイコノロジー(図像解釈学)的に考えてよいのか?それがよく分からないということを紹介させていただきます。今回はほとんど私の独断と偏見で記しています。批判反論があることを覚悟しています。どんどん書き込んでくださいませ。


 ちなみに今回は東京国立博物館のプライスコレクション「若冲と江戸絵画」展の勝手なタイアップ企画です。


 それでは久しぶりですが、よろしければいつものように、下のスポンサーサイトを訪れて応援をお願いします。

  
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2006年04月29日

尾形光琳「風神雷神図屏風」(3)

 更新が遅くなってしまってごめんなさい。さて、先回の続き「なぜ風神雷神の色を変えたのか」について一つの説を紹介させていただきます。

soutatu.jpg

 上も図が宗達の風神雷神です。


 で、本来は赤でなければならない雷神が白色に、そして風神は緑青に変更されています。宗達は「伊勢物語芥川図」では同じかたちの雷神を赤で描いているそうですから、「わざと」色を変えたと考えられます。


 本来の宗達の「風神雷神図」の居場所は京都の妙光寺という臨済宗のお寺で、禅に関係する内容を想定することができます。

 
 すると、風神雷神の二神の色から違う禅にまつわるモチーフが浮かび上がってきます。

fugengazou.jpg monju.jpg

 左が東京国立博物館蔵の普賢菩薩、右が伊藤若冲の描いた文殊菩薩です。時代が少し異なりますが、適当な画像がなかなか見つからなかったのでご勘弁を。

 
 上の画像のように普賢の象は「白」文殊の獅子は「緑青」として表されるのが約束だったそうです。これを宗達の風神雷神図屏風に照らし合わせてみてください。


 他にも、雷神には象の牙を表すために「牙」がつけられていて、風神のほうには「牙」がありません。その代わりに、風神の方には獅子の鬣を表すために「金色」でその部分が表されています。光琳の屏風には両方の鬣が金色になっています。


 なぜ、そのようにしたのでしょうか?


 法華経や禅宗で重要な経典であります「摩訶止観」の中に「空中の雲雷は象牙の上に草を生ず」という仏の説法の喩えとして、当時の江戸の人たちには常識だったそうです。


 または、風神雷神は釈迦による説法の様子や慈悲を表すものとして平安時代から「法華経」などのお経の「見返し」という写経する前の絵を描く部分に描かれているそうです。

 以前にも述べましたが、宗達は本阿弥光悦という有名な芸術家の絵画部門担当者でした。本阿弥光悦は法華経の熱心な信者で宗達らとともに法華経の村を作って住んでいたほど法華経を信仰していました。


 つまり、「摩訶止観」という経典に基づいて雷神を「普賢菩薩」風神を「文殊菩薩」にイメージを変換してみると少しこの屏風を描いた当時の江戸の人々のメンタリティに近づくことができます。

 
 普賢と文殊は釈迦の両脇を務める尊像です。つまり、この屏風の普賢と文殊は間の金色の空間のところに見えない「釈迦」を創造させる、見立ての「釈迦三尊像」であることを見る人に要求しているそうです。


 だれが、このように作れと宗達に依頼したのかは分かりませんが、こういう内容までは当時の人々のメンタリティを分かろうとしないと、つまり、当時の人々の立場に立って考えてみないと分からないことだと思います。


 今の常識がいつでも通用するなんて思うことは全くおかしなことで、いつの時代の人々の考えをも尊重するような気持ちで古美術を見ていかないと、なかなか本質までは分かりません。


 一見、シンプルな風神雷神のイメージが実は奥深い意味を我々に示しているなんてとても驚くとともに、すごい精神世界が昔はあったのだなぁと感じました。

 以上で終わります。また下の広告を押していってくださいね。

   
 
 

 
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2006年04月28日

尾形光琳「風神雷神図屏風」(2)

soutatu.jpg

 今回は光琳が写したとされています俵屋宗達筆「風神雷神図屏風」を少し細かく見てみます。また少しお付き合いください。

 今回紹介します説は村瀬博春氏の『美学』543に掲載されています説です。仏教の経典の一つで、昔の日本人にとってもっとも重要な経典に一つでありました法華経に即して考えてみるという試みです。

 たくさんのことを紹介したいのですが、ポイントを絞っていきます。難しい話ではありません。読み物として読んでいただければ幸いです。

 まずは、上の図を虚心に観察してみてください。すると、いくつか不自然な点が出てきます。

 とういうのは、宗達は「北野天神縁起絵巻(弘安本)」の二つの清涼殿に落雷する場面に登場します雷神に取材しているといわれています。

 その「北野天神縁起絵巻(弘安本)」とは

雷神画像楊.jpg

 これです。どうでしょうか?風神のポーズにそっくりです。

 で、雷神は「北野天神縁起絵巻(弘安本)」の雷神をそのまま引用して、わざわざ「北野天神縁起絵巻(弘安本)」雷神を風神に書き換えているのです。

 この問題は宗達が純粋に風神雷神図を描いたわけではないことを示しているそうです。

 次の疑問は宗達の「風神雷神図」を見てもらえば分かります。雷神の持っている太鼓は胴が細くて、いかにも貧弱。そして太鼓をつないでいる輪は太くて、なぜか太鼓の中心を貫通しています。バチも貧弱です。こんな道具ではきっと雷鳴どころか音なんて出ないと思います。

 このことからも、純粋な「風神雷神」を描いているわけではないことが分かります。どうやら、この絵には何か他の意味が隠されているようです。

 疑問はもう一つ。宗達の「雷神」と「北野天神縁起絵巻(弘安本)」の雷神を見比べてみてください。

soutatu.jpg

雷神画像ズーム.jpg

 違いに気づきませんか?格好はさておき、色が違います。

 正しい雷神の色は「北野天神縁起絵巻(弘安本)」の雷神です。雷神は火に結びつくことから普通は赤色(丹)で描かれるのです。

 ただ、宗達がこのことを知らなかったのかというと、そういうわけではなかったようです。図が用意できないので申し訳ないのですが、こちらには正しい雷神が描かれています。機会があればいつかご覧ください。

 今回はここまでにさせていただきます。なぜ、わざわざ色を変えたのか考えてみてください。仏教の臨済宗と法華経のコンテクストで考えるとおもしろい答えが見つかるかもしれません。次回は今回の色の問題の結論を紹介させていただきます。

 また、下の広告を押して、スポンサーサイトを訪問していってください。

 
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2006年04月24日

尾形光琳「風神雷神図屏風」(1)

 東京国立博物館で尾形光琳「風神雷神図屏風」が展示されています。今回はマムさんにリクエストしていただきましたので取り上げたいと思います。

 ただ、私は「にわか」ですので、そのあたりはあしからず。

 尾形光琳の風神雷神を見る上で、やっぱり俵屋宗達の風神雷神を扱わないわけにはいきません。今回は宗達と光琳の違いを見てみましょう。

 では画像から

 soutatu.jpg

 光琳風神雷神.jpg

 大きさが違いますが、お気になさらないでください。

 上が宗達で、下が光琳です。どこが違うでしょう。

 雲の形が違います。宗達の方をよくよく見てください。雲は何処からやってきているでしょうか?

 はい。屏風の向こう側からやってきています。

 光琳の方はどうでしょう?

 左側の雷神の雲は四角形です。右側の風神は三角形です。

 雲の形から宗達と光琳の造形に対する意識の違いが読みとれるそうです。宗達の雲は屏風の「向こう」からやってきているとさっき記しましたが、どうでしょう?それに、雲の効果で全体的に躍動感が感じられると思います。そうそう、ちょうどドラゴンボールの悟空のキント雲のような。

 光琳がこの屏風に描こうとした三次元的な空間の広がりが見えてきませんか?そして、風神と雷神の雲は屏風の奥でつながっていくように見えます。

 この話を私が聞いたとき物凄い感動を覚えたのを記憶しています。「はぁ、こんな見方ができるんだ」と。

 一方で、光琳はというと、三角と四角で雲を処理しています。つまり、光琳はデザイン的な造形に秀でた才能を持っているということが分かります。

 一見同じような絵に見えますが、二人の画師の目指そうとするところは異なっていることが分かります。よく見ると、雲一つであってもとってもおもしろい発見ができます。

 恥ずかしながら、私もその話を聞くまでは全く気づかなかったのですが...汗。

 手短ですが、今回はこの辺で終わりにさせてください。

 つぎも、風神雷神図屏風を観たいと思います。

 風神雷神図屏風にこめたれた意味について一つの説を紹介させていただきます。

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posted by にわか at 20:46| Comment(6) | TrackBack(2) | 風神雷神図屏風 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月19日

うわぁ、カラスがいっぱい。

 根津美術館では「燕子花図と藤花図」という展覧会が開催されています。燕子花図は尾形光琳、藤花図は丸山応挙。燕子花図は国宝です。私は何度も見ているのですが、やはり別格です。鮮やかな緑色は当時光琳にしか出せなかった色だそうです。

 今回は燕子花図はそんなところにしておいて、燕子花図について詳しくは絵画の見方のコーナーに記してあるのでよかったら読んでいってください。

 で今回、書きたくて書きたくて仕方がないのが作者不明(分かっていたらごめんなさい)の「烏図屏風」です。

IMG_1169.jpg

 上の図は二隻(一双)ある屏風のうちの右側です。なんでこんなところに烏の絵なんかがあるのだろう。入った瞬間私はそう思いました。

 だって、入ってすぐ吉野瀧田図があって、夏草図があって、蹴鞠図、麝香(猫とかイタチとか)図、藤花図など、美しかったり、まぁ有りかなと思うような絵の中に、デンと鑑賞する広場を挟んで燕子花図と向かい合ったところに展示されているのです。

 ん〜。と、しばし見入ってしまう...



 何羽いるのだろう?






 なぜこんなにたくさん?





 なぜ?なぜ?なぜ?







 と、いう風にいろんなことを考えてしまいました。よく見ていますと確かに琳派の仲間に入れてもよいのかもしれないな。とか思ってきたりしてきます。

 「向かい」といって遥か向こうですが燕子花図屏風と見比べてみてください。どういう印象を抱きますか?この後のことはここでは説明しません。実際に見て燕子花図と似ている点を発見してください。その似ている点に気づいたとき、また、ここにコメントを残していただけたら私はうれしいです。

 image07.jpg

 燕子花図ではありませんが、上の俵屋宗達「鶴図」に似ていると思いませんか?俵屋宗達は実際のところ琳派の祖と言われることもあります。琳派の「琳」は尾形光琳の「琳」ですが、風神雷神図屏風で分かるように俵屋宗達を学んでいます。往々にして琳派の画家は「師弟」の関係ではなく、自主的に学ぶことでつながっています。狩野派とはかなり性格を異にしています。

 ですから、鶴図に似ていると思えば、琳派といえるのではないかな?と私は思ったわけです。たぶん、これは私の意見に過ぎないと思いますのでそのあたりはご容赦を。如何せん琳派の専門家ではありませんので間違っているかも分かりません。

 で、最後にですが、この烏図の中にカラスは何羽いるのでしょうか?数えてみてください。答えは私もよく分かりません。烏の群像が描かれていますが、何羽そこに重なっているのかよく分からないのです。これは中国の「鶉図」という三羽鶉がいるのに頭は二羽分、体は二羽分、足も二羽分だけれど、確かに三羽いることが分かるといった「騙し絵」的な香りも感じられます。

 さらに、地面にいるカラスになんか違和感があるなと思いました。なぜでしょう。それは会場でじっくりと眺めてみてください。おもしろい発見があるハズです。

 この絵を描いた人、注文した人かも分かりませんが私はかなりの遊び心を感じます。烏は何で?当時は嫌われていなかったの?嫌われていた烏だけど、それでわざわざ描いたの?こんな疑問も出てきたりして、ん?ん?ん?なんて。おもしろいですね。

 ぜひ、根津美術館に見に出かけてください。そして、ここにその感想を書き込んでください。ちなみに4月26日でアメリカのシアトル美術館かどこかに行ってしまうそうなので、それまでに見に行ってください。

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posted by にわか at 00:16| Comment(4) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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